| 筌の口温泉 |
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筌の口温泉とは広く知られた無類の健康温泉です
筌の口とは地名の由来で、川漁に用いる「筌てぼ」に似た地形からそう呼ばれれます。この温泉は湧出後直ちに黄色に変化します。それは地下の圧力がなくなり空気に触れて酸化が起こり各種のガスの放出で成分の比重が変わり、残る成分が微細な結晶となり浮遊し黄色に見えます。また、微細な結晶の影響でタオルが黄色く染まるのもこの温泉の趣です。湯口では「炭酸ガス」が残っていますので、弱い人は気をつけましょう。 筌の口温泉管理組合とは 筌の口温泉の歴史は、江戸初期の温泉発見から始まりました。その後、庄屋が屋敷をかまえたり、荒廃したり村人の手で復旧したり、明治後期より旅館も出来て村の中心となって反映した時代もありました。温泉権は村所有から財産区有を経て九重町有となり、昭和40年代の建築も老朽がひどくなったため、関係者で研究し規模を拡張した新建築を決議、新温泉館として面目を一新し、運営も地区区長会で組織する管理組合が当たり、従来無料であった入浴料も有料化にふみきり維持管理費に当てる事となった。 温泉発見のこと 村の古老の書き残した「田野村古伝集」には 「筌の口湯・承応元年壬辰の前後、葛藪の中より湯煙立登り近辺の老人藪を伐明け少し掘開き入見れば燗も吉。それより踏明け昼の間は湯入有之候処、人家遠く藪山の内にて女童は徒然に思い参不申候得共、追々に藪山苅野に伐開き晴々と相成り畑等出来候・・・・以下略」とあり、340年前の発見当時の姿を知ることが出来る。(一説には少し前の正保の頃よりとも伝える) 筌の口温泉の歴史
承応元年頃(今より340年くらい前)発見されたと書かれております。 どんな時代かと言いますと、その前の年江戸では三代将軍家光が亡くなり四代将軍には歳の家綱がなり、世の中の不安につけこんで由井小雪、丸橋忠弥の乱があった頃です やぶの中から大きく湯煙りが立ちのぼっているのを村人達が発見し、やぶを切りひらいて見るとなかなか良い温泉がわいているので手入れをし、のちには湯小屋も建て近所もひろげて田畑にり村人も遠く近く集って入浴し次方ににぎわって来ました。 延宝5年頃(307年前) 北方の人々が湯に通う近道が出来てこれが今の道になった。それまでは「古渡り」と言う所を通って滝の上に上がってました 天和年頃(303年前) 日田の殿様 松平大和守直矩公が猟に来られて入浴したとの話が残っています。 筌の口温泉の現状
筌の口温泉は平成十八年の大改修により、街の銭湯に近く内装を衛生的に一新し、快適となっている。二十四時間開放の公共温泉はここくらいである。男女別でかく入口に薬師如来を祀る。入浴料大人二百円・子供百円。管理者不在の時は入口の料金箱に料金を入れ、気楽に利用できる。
注釈)九重・飯田ふるさと資料館長の小野喜美夫氏協力の下作成しました。女湯には小野喜美夫氏の寄進した薬師如来様が祀られております。
説明・・筌の口温泉は現在、新清館と共同浴場の二つとなっています。小野屋旅館さんは現在、閉められています。共同浴場は24時間いつでも入浴できるようになっていますが、水曜日の夕方と土曜日の朝は、管理組合の皆さんで交代で清掃するので、入浴はできない時間になります。
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筌の口温泉

