| きじくるま |
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きじくるまは、北山田地域に江戸時代末に考案された子どもの遊具である。由来によれば、木牟田地区に江戸時代仁田原氏という庄屋がいて、子どもがなく神仏に祈願しやっと子どもが生まれ、これを喜ぶ村人の上野家六代前の先祖が、遊び玩具として木馬を作って差し上げ、ことの外子どもに好まれた。このことから、この地域で子どもの遊び玩具として作られていった。
木馬は杉などの丸太材を子どもの体に合わせ、鞍を置いた形に鋸と手斧で形を作り、手頃な丸太を車輪とし轡に紐をつけ、子ども同志で乗り、押したり、引っぱったりして遊んだもので、昭和の初期頃まで作られていた。
以来しばらくは忘れられていたが、木牟田の大工・上野寛吾が小型の木馬を作り、弟子野山角の中村利市が遊び心で更に置き物として、朴の木を材料に木馬を型どり、一刀彫りの様に樹皮と木地の部分を巧みにバランスして作り上げた。
白い木地と木目・樹皮の模様が、一個の玩具の表現され、特に着色等の加工を施していない極めて素朴玩具であった。こうした形や作り方が珍重がられ、その名称も「きじくるま」と呼ばれるようになった。
この「きじくるま」を、昭和二十六年当時北山田郵便局長であった高橋善七が、全国郵便局や観光関係の地名士に贈ったことがきっかけとなって、人々に好まれ次々に注文に応じきれない程に製作が多忙となったと言われている。昭和二十九年日田市の小鹿田焼を訪れた英国の陶匠大家バーナード・リーチがこれを見て激賞したと言われている。(玖珠町史より抜粋)
現在のきじくるまの型を完成させた中村利市氏は、子どもの玩具として純粋に作っており、木の裏にハンコや名を一切書き残さなかった。この利市氏の作ったきじくるまは、他の大工が作ったものより、人気があり必然と値も上がっていった。利市氏のきじくるまと言われる古いものが、森町にある喫茶はねに置かれている。
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きじくるま







