慈恩の滝と山浦専徳寺
国道210号線を日田から玖珠に向かっていると、JR久大線の杉之河内鉄橋のすぐ向かいに、慈恩の滝が見える。滝は万年山に源を発した山浦川が、玖珠川に交わる所で二段の滝となっている。滝つぼの前にたたずむと、夏でもひんやりと冷気が漂う。滝つぼの水は、どんよりと濁り、滝にまつわる大蛇伝説が真実味を帯びてくる。
昔、この滝つぼに、大蛇が住んでいた。春の麦の収穫期や、秋の稲の実るころ、田畑を荒し回り、付近の農民はひどく難儀をしていました。
ある夏の夕暮れ時、村を通りかかった旅の憎が、このありさまを聞き、『及ばずながら経の力で大蛇を鎮めてみよう』と、その夜から一心に読経を続けていると、滝つぼからすさまじい形相の大蛇が現れました。様子をうかがっていると、大蛇は舌の先で体中をなめ始めました。近づいて見ると鱗の間に虫が寄生しているのを見つけました。そのために病気になっているようです。憎は大蛇の胴体の上を経文で撫さすると、虫が消え病気も良くなり、その後は一度も田畑を荒らすことがなかったということです。
農家の人々は大変喜び、この憎のために一つの寺を建立し、慈恩寺と名づけて寄進しました。しかし、この寺は戦国の争乱の中、大友宗麟の軍により消滅しました。
伝説の内容はこのようなものだ。各地の滝や沼には、竜や大蛇にまつわる伝説が数多く伝わっている。例えば九重町松木の竜門の滝にも、竜が住んでいたという伝承があり、それにまつわる物語も語り継がれている。
この滝の左手を通る道路を上って行くと、玖珠町大字山浦に着く。ここに専徳寺というお寺がある。真宗大谷派に属する寺で、文亀二年(一五〇二)二月正西の開基と伝えられる。同寺の三世了西は、文武両道に秀でた憎で、天正四年(一五七六)の石山本願寺の一向宗と織田信長の戦いに、長駆玖珠郡から石山に駆けつけ、一向宗光教より武功を賞せられ、伎楽面迦楼羅(カルラ)を拝領したという。現在、その面が、専徳寺に伝えられている。
この専徳寺は開基されたころは、玖珠町大字山田九日市と烏帽子の境あたりにあったと伝えられ、中世清原森氏の菩提寺であった。それが山浦へ移転したのであるが、その理由や時期はわからない。ただ、宝暦三年(一七五三)の玖珠郡の「寺院印鑑帳」によると、すでに山浦に移転している。
(玖珠川歴史散歩より)
執筆者-内恵克彦
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