| 二日市洞穴 |
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ページ 1 の 3 土層に遺された二日市洞穴の歴史二日市洞穴の調査は、洞穴内から地元の人によって縄文時代後期の土器が発見されたのを機に、それを重視した九重町教育委員会が、別府大学考古学研究室に調査を要請したことから始まった。調査は1975年3月の第1次から79年の第5次まで行われ、洞穴開口部から中央部にかけての約50平方メートルを発掘した。 洞穴は玖珠川と松木川との合流付近に位置し、洞穴と隣り合わせて瑞巌寺の石仏か所在する。耶馬渓溶結凝灰岩が松木川の浸蝕により、2つの巨岩に分離されることによって洞穴が形成されており、天井の一部は細長く吹き抜けになっている。 北と南の2つの巨岩に挟まれた東西に長い洞穴の土層堆積状況は、北側では岩が洞六の中央部寄りにせり出しているため、岩盤までが浅く土層の堆積も当然のように浅い。一方、南側は巨岩が斜め力向に地山まで深く落ち込んでいるため、土層は約3メートルほど厚く堆積しており、その間に9つの縄文時代の文化層が認められる。 (回顧 二日市洞穴-25th-より) ![]() |
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