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九重梨(松木梨)
九重の梨農家紹介
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九重梨・・(通称松木梨)

 
明治四十年前辻の高田助市、松木の井上新治が植え付けたのに始まる。
当時、高田助市は東飯田農業技手として勤めていたが、前の山一反歩を開墾して埼玉県安行農園から百三十本の苗木を購入し植え付けた。
一方、井上新治は海軍将校として艦上にあったが耳を病い、遂に癒えず退役して郷里恵良に帰ったが、青雲の志止み難く田圃に出ては男泣きに泣き続けたそうである。
―苦悶の末、氏が海軍病院で食べた梨や桃の美味しさを思い出し、耶馬渓で見た自然梨に自信を得、両耳を失った自分にできることはこれ以外にない、これを以て郷土の名産に育て上げようと固く心に誓った。
 
明治四十年春、松木室園に約一反歩の畑を買い入れ、桃を植え、翌年川上の下馬原に梨を植え、開墾しては面積を広め、同じく川上部落の台という所にも植えて五反歩の果樹園を作った。それから専業としての生活が始まった。
 
四十三年には川上に家を建て恵良の泉園を分家した。前辻では明治四十一年、助市の長男信一が三重農学校を卒業して帰村し、東飯田農業補習学校の教師として勤務するかたわら一反有余の梨を増殖した。かくて高田・井上両氏が現在の九重梨の草分けとなったわけである。
当時の梨の品種は、現在からすればちょっと首をかしげる長十郎・太平・真中・力弥・独逸・幸蔵・明月・今村秋・晩三吉・土佐錦・四百匁梨・天の川・早生赤・パートレットなどである。昭和三十九年現在はほとんど廿世紀が主体となっている。
 
このほかに特に面白いことは、明治四十五年、安行農園からガイセンという品種を買い入れた。これが現在の廿世紀で、当時サビの梨といわれ、サビがなければ悪いとの通念であった。現在も高田信一の畑に大正三年に植えたガイセン(廿世紀)が桔実している。まことに貴重な名木である。
研究熱心な業者は肥沃な大地と気候、特に夏季において一〇度という温度差は糖度において絶対他の追随を許さず、その風味、玖珠の廿世紀「九重梨」の前途は明るい。
(玖珠郡史より抜粋)
 
平成となった現在の主品目の梨は、「豊水」です。松木の清水と温度差で育てられた九重産の梨「豊水」は見た目より重量感あり、ひとくちかじれば貯えられた甘い果汁があふれ出ます。
ぜひ、九重産の梨をお買い求めください。
 
 九重町松木の佐々木農園の廿世紀梨


九重梨の天敵

梨の最大の敵は、収穫時期に来襲する台風だと思われますが、それより、毎年恐れられているものがあります。『遅霜と春の氷雨』です。海抜400~700m と高地である九重松木地区は、厳寒期を必要とする梨にとって、最適の気象条件ですが、春の受粉時期に、『霜と氷雨』が降り、せっかく咲いた梨の花が受粉する間もなく散ることもあります。散ってしまうとその年の収穫量は激減となります。

ただし、この厳しい気象条件を過ぎれば、昼夜の温度差と龍門の滝の谷間に吹き通る新鮮な風に磨かれ、糖度の高いみずみずしい九重梨を育ててくれます。


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