史跡、旧跡、名所

  • 三島公園
  • ちいさな城下町 森町
  • 清水御門
  • 角牟礼城址(つのむれ)
  • 栖鳳楼
  • 久留島記念館
  • 末廣神社
  • 豊後森機関庫
  • 中塚大日不動明王
  • 九重町の文化財
  • 玖珠町の文化財
  • 豊後清原氏の成立
  • 玖珠川本流域の歴史
  • 慈恩の滝と山浦専徳寺
  • 清原魚返氏と魚返村
  • 八丁坂
  • 涙石
  • 二日市洞穴
  • 知福童子
  • 桃太郎の銅像
  • 瑞巌寺磨崖仏群
  • 下辻異形国東塔
  • 麻生観八像
  • 内恵克彦氏研究史料
  • 近代化遺産~玖珠町
  • 武家屋敷

くすグル! ご案内

  • 史跡、旧跡、名所
  • 自然景勝地
  • 神社、仏閣
  • 祭り、イベント
  • 旅館、ホテル、民宿
  • 食事処、グルメ
  • 呑み二ケーション
  • おみやげ、菓子、民芸
  • キャンプ場、遊戯施設
  • メルヘンの里くす温泉郷
  • 九重”夢”温泉郷 (九重町)
  • 天ケ瀬温泉(日田市)
  • 農産物、グリーンツーリズム
  • 各種団体の紹介
  • 久留島武彦研究資料
  • 趣味の団体(芸能音楽)
  • 芸術文化(工芸美術)
  • スポーツ団体紹介
  • 投稿写真コーナー
  • 玖珠に関する書籍紹介

玖珠郡広報一覧

  • 玖珠町広報
  • 九重町広報
  • くすふれ愛だより
  • 玖珠町議会議事録
  • 九重町議会だより
  • 広報「さんほーる」

  • HOME
  • 玖珠町商工会
  • 工業部会
  • 商工青年部
  • 商工女性部
  • イベント
  • 事業所紹介
  • 不動産情報

Breadcrumbs

Home 豊後清原氏の成立
豊後清原氏の成立 PDF 印刷 Eメール

豊後清原氏の成立

最初に中世を通じて玖珠郡を領有した、豊後清原一族について考えてみたい。豊後清原氏の成立伝説は、平安時代末期に少納言清原正高が醍醐帝の一の宮章明親王の姫小松女院と恋に落ち、これが帝の知る所になる。正高は解官の上、但馬の守とされ、ついで豊後国玖珠郡に左遷された。

天延元年(九七三)三月十八日豊後日出庄に着船、同二十日豊前下毛郡宮園村に至り、ついで玖珠郡に着いた。ここで正高は山田郷の地頭矢野検校藤原久兼の館に入り、その娘と結ばれ、後に長野荘に居館を造って移り住んだ。二人の間には嫡子正通(道)が生まれるが、やがて正高は勅免により帰京することになる。

京では山科の里に居住したが、万寿四年(一〇二七)二月十五日薨じた。後を継いだ正通(道)には三人の子供が生まれ、それぞれに玖珠郡の四郷一荘を分与した。長子長野助通(道)に古後・帆足二郷を与えた。これが長野氏の祖となる。次子山田通(道)成には山田郷を与え、この山田氏から古後・平井・太田・小田・魚返などが輩出し、さらに栗野・今村・原田・横尾・志津里・原口・綾垣などの諸士も輩出する。


三子飯田通(道)次には飯田郷を与え、飯田氏からは帆足・恵良・野上・松木・森・飯田氏に分かれ、さらに片平田・岩室・右田・中島・見良津などの分流が生まれる。以上が『船岡新宮ハ幡縁起』などに見る正高伝説の概略である。

しかしこの伝説は後世に書かれた諸系図や、覚書などによって伝えられたもので、年代などにくい違いが見られる。さらに現在まで残された諸資史料の中を見ても、平安時代における正高に該当する人物はみあたらない。したがって当然小松女院と清原正高の悲恋物語はなく、三日月の滝の伝説もなく多くの矛盾点はあるが、清原氏の祖となる人物が十一世紀の前半ごろに、玖珠郡に下向土着したのは事実であろう。

その原因は悲恋のはての配流なのか左遷なのかはわからないが、清原氏が中央の権力者の命により、玖珠に入
部、その居館を長野庄にかまえ、子孫が土着して郡司職を相伝したものと考えられる。さらに郡内の諸郷を開発し、分家をくり返し「国侍持ち切りの国」として、清原十二家とも二十四家とも呼ばれるほどの武士団に発展していくのである。

 (玖珠川歴史散歩より)

執筆者-内恵克彦

 

 

玖珠町商工会
〒879-4403 大分県玖珠郡玖珠町大字帆足125-1
TEL: 0973-72-1211 FAX: 0973-72-5712