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武家屋敷
豊後森藩 中・下級武士の住宅事情
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武家屋敷

1601年(慶長六)「来島康親」が森に入部した。二年後の「慶長八年当時の森町は蒼蒼しかるに深林、わずかに拾数軒」(加藤家系図)とあるように、まだ町は存在しなかった。

しかし陣屋と武家屋敷の建設は早急の課題だった。入部から45年後の1647年(正保四)に作成されたとされる「城絵図」を見ると、来島屋形(今の三島公園)を中心にこれを取り囲む形で武家屋敷は配置されている。

ちなみに陣屋の大きさは、「東西50間(約90m)南北58間(約90m)の広さで、南側に大手門、陣屋の東南側と北側に侍屋敷・中間屋敷がおかれ、陣屋を警備している。

陣屋北方の土谷、旭谷、東側から東南にかけては殿町、轟に上級武士屋敷が配置され、上谷、旭谷は警備にあたると同時に、万一に備えて味方の角牟礼城入城を容易にすると考えられる配置である。

殿町、轟の上級武士は陣屋の防衛にあたり鉄砲町、勢溜には下級武士を、また、南方の田町と太田に通ずる伏原に上級武士屋敷を配置した。

「殿町」の地名の由来は、城または陣屋に接した武家屋敷の意味で、竹田や中津にも同地名はあるが、いずれも城に接している。

「勢溜」はいざという時の軍勢の集合場所であり、久留島時代は、狩りに出向くときの「勢子」の集合場所でもあった。

「鉄砲町」は鉄砲を級う武士の居住地であり、「轟」は音がトドロクから由来しているという説もある。


1883年(明治十六)の大火で武家屋敷の多くは焼失した。森藩の武家屋敷の特徴はL字型の「曲がり屋」である。上谷の千葉家・古井家・溝口家・合町の朝山家屋敷にその面影を見ることができる。
(つのむれ会発行 つのむれ遊観より抜粋)
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